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EDGEHIKER READINGS

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カンボジアシルクについて

まだまだ知られていない ―カンボジアシルク

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 東南アジアでシルクといえば、タイシルクが有名である。ジムトンプソンを知っているだろうか?空港にショップでもよく見る有名なタイシルクの国際的ブランドである。商業化されたタイシルクと比べて、カンボジアシルクはまだまだ知られていない。しかし、カンボジアシルクはタイシルクと同じように、いやそれ以上に高品質のシルクといっても過言でないだろう。カンボジアにおけるシルク生産の歴史は、アンコール王朝時代まで、さかのぼることが出来る。特徴的なのはカンボジアの熱帯気候の中で生息する蚕からとれる黄色を帯びた特徴的な絹糸である。この絹糸は、太陽の光を反射すると淡い黄金色に輝く。この黄金職の糸は古来より人の心をつかんでやまない。

カンボジア内戦と織物技術の伝承

 カンボジアは、メコン川流域に位置している。タイ、ラオス、ベトナム、中国の雲南、そしてカンボジアを含むGMS(グレート・メコン・サブリージョン)と呼ばれるこの地域では、アンコールワットで有名なアンコール王朝の時代から20世紀まで戦火が絶えなかった。

 かつてカンボジアを含むインドシナ諸国はフランスの植民地であったが、これもフランスの庇護のもとに隣国との過剰な衝突を避けようとした政治的意図があった。しかしその後も、ベトナム戦争、第一次・二次インドシナ戦争といった多くの戦争に巻き込まれた。また国内では、1970年代後半のクメール・ルージュの時代にあった虐殺を知っている人も多いだろう。プノンペンといえば、戦車が町を走っている様子が目に浮かぶ人も多くいるに違いない。この時代は全体主義・共産主義の名の元に都市は荒廃し、農村の人々は集団農業に繰り出された。多くの人が被害にあい、様々なカンボジアの伝統が断絶することになった。

 アンコール王朝から続く伝統的な織物技術も例外でなかった。1990年代になって国連が介入し、1991年のパリ和平会議で内戦がやっと終結した。現在の伝統的なシルク織物技術は、そうした長期内戦を生き残った数少ない人々によって徐々に回復してきたのである。戦火が繰り返される中でも、織物技術の伝承は、農村地域の家庭の中で受け継がれた。

 国際的NGOやNPOといった国際援助機関のサポートが文化遺産の保護には気和㎡て重要であり、日本の中にもそうしたカンボジアシルクに魅せられて、現地で技術伝承に関わっている人もいる。

 カンボジアシルクを見るときは、伝統的な織物としての品質の高さだけでなく、シルクを通してカンボジアの歴史も一緒に見てほしい。

織物の担い手 女性の活躍

 織物技術の担い手は、女性である。日本でも、織物の伝統は女性が担ってきた。カンボジアの女性は、本当に良く働く。カンボジアを旅してみると、路上にたむろしている男性ばかりである。男性は外で働き(時にたむろして)、女性は家庭で子育てをしながら家庭内労働によって家計を支えているのである。そのひとつの生計手段が、織物である。農村では乾季に農業以外の生活手段を確保しておくことは非常に重要である。

 タケオ(クメール語: តាកែវ, Takéo)は、カンボジアの南部に位置する州である。州都のタケオ市は、シルク生産で有名である。エッジハイカーのシルク製品の多くは、このタケオ市で作られている。

生活の中で使われるシルク

 カンボジアの生活はここ数年で大きく変化している。特にプノンペンの都市変化はすさまじい。高層ビルが乱立し、半年のするとすっかり風景が変わってしまっている。変わっているのは風景だけではない。生活スタイル、持ち物、乗り物、食べ物に至るまで大きく変化している。しかし、車でちょっと郊外に行くとまだまだ昔の風景が残っている。伝統的な生活スタイルは、農村の中ではなかなか変化しない。

 カンボジア人の伝統的な日常服で欠かせないのは、クロマーと言われるチェックの布である。配色が独特で、見るとすぐにクロマーとわかる。青と白、赤と白、黄と橙など様々な組み合わせがある。 綿のものとシルクのものがあるが、特にシルクのものは、結婚式やパーティなどでも肩からかけたりする。

 また、カンボジアの日常生活で重要なのは、仏教行事である。仏教行事の時は、女性は白のシャツと黒のパンツを組み合わせてモノトーンの配色の中に、シルクのストールを組み合わせる。ここで用いられるシルクは、上質のものである。

 生活の中に根付いたこうした日常的なシルクが、カンボジアシルクの特徴である。

 

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